エッセイ

色鍋島今右衛門窯 緊張感のある間で描く

この文章は2008年冊子「禅の友」にて14代今右衛門がインタビューを受けた内容です。

14代今泉今右衛門。有田(佐賀県)に360年続く、鍋島様式を受け継いできた窯元である。13代の次男として生まれた当代の今右衛門は、平成13年、父が75歳で他界するにともない、翌年2月に14代を襲名する。40歳の年であった。
父の許で仕事をするようになってわずか10数年。今右衛門を襲名するという現実に立ち向かったとき、何をどうしたらよいのか皆目見当もつかず、頭は真っ白になったという。そんなときにまず行ったのは無心に手足を動かし、日々の作業をコツコツを続けることだった。やはり、もの作りの基本は、毎日の作業を堅実に続けることにある。その一方で、14代としての作品をいかに表現すべきかを考えていた。しかし、その思いに反して、妙案は一向に浮かんでこなかった。

そんなある日、ふと東京で過ごした学生時代のことを思い出した。それは、自らを劣等性と思い悩み、もの作りの世界に進むことに一種のためらいを覚えていた当時の今右衛門を目覚めさせた光景であった。
「ある雪の夜でした。なに気なく雪の降る様を眺めていた私は、突然、その中心部分に吸い込まれていくような、言いようのない感動に襲われたのです。そして、こんなにも感動できる心をもっているのだから、自分はもの作りができるかもしれない、と思えるようになったのです」
14代としての最初のテーマが決まった。雪の中心に吸い込まれるような雰囲気を、江戸時代から鍋島に伝わる白抜きの技法「墨はじき」で表現することだった。
「アイデアというのは、全然別のことをしていたり、考えているときに突然湧いてくるものです。でも、せっかく良いアイデアが浮かんでも、ベースとなる技術がなければ理屈に偏ったものになってしまいます。逆に、技術があるから、それを基に、時に飛躍することができるのです」
その飛躍した瞬間に、それまでの職人が作家になったということなのだろう。

13代がよく使っていた言葉に「伝統は相続できない」ということがある。伝統を言葉で教え伝えることはできない、ということである。伝統とは、各代がそれぞれの時代に仕事をしながら経験を積み、自分で判断しながら自ずと身につけていくべきものである。言葉だけで覚えたことは、芯を知らずに上っ面をなぞったにすぎない、と。
14代になり、立場が変化したことで、同じものを見ても今までとは異なったものの見方をしているという。
「その意味では、立場が人間を作るということは確かですね。と同時に、つねにもの作りのヒントになるものを貪欲に探し求めている自分ともよく出会いますよ(笑)。いつの間にか、そのような立場に置かれていたということなのでしょうね。」
また、置かれた立場同様に、年を重ねることによって見えてくる世界もある。30代には30代なりの、40代には40代なりの美意識があるということである。
「人間には、ある年齢に達しないと見えてこないものがあるんです。同じものを見ても30代のときには気がつかなかったものが40代になって見えてきたり、感動できたりするんです。おそらく、いまの自分には見えていないものが、50代になったら見えてくるのかも知れません。近道も廻り道もない世界。それは人間の懐が大きくなるということとも関係してくるんでしょうね」

鍋島の図案の特徴の一つに、器体と図案との関係を微妙に保ち続けている「間」がある。その間を作り出すのが人間の懐の深さだという。日本画では、緊張感のなかにもゆとりのある間を作り出しているのに比べ、鍋島の間は、清潔感や高い品格のなかに漂う緊張感にあるという。
それはある程度、人間ができてきたときに、自ずと作り出せるようになるもの。間とは、無理をして作り出すものではないし、また、作り出せるものでもないという。
「いまは、斬新でありながらも無理のない、ギリギリの緊張感を求めて作品作りをしています」
と真摯に語る14代今右衛門。
父、13代の「薄墨」の技法を継承しつつも、14代独自の「墨はじき」の白の「間」の美を追い求め、いまなお大いに奮闘中である。

「禅の友」(曹洞宗宗務庁発行) 2008年 4月号より